Part5 土呂久を語り継ぐ

謝 辞

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 日本が「公害列島」と呼ばれた時代、祖母・傾山系の谷間に埋もれていた砒素中毒事件が、突如、社会の表層に浮かびあがった。早いもので、あれから40年がたった。前半の20年は、自らを「生き残り」と呼んだ被害者が人権回復を求めて鉱山会社と行政に闘いをいどみ、後半の20年は、「二度と悲惨を繰り返さない」ために事件を語り継ぐことに力が注がれた。しかし残念なことに、いま若い世代は「土呂久公害」についてほとんど知らない。
 このままでは、事件はふたたび谷底の深い闇に消されてしまう。歴史を風化させる力に対抗して、土呂久公害の記録を次の時代に残していく方法はないものだろうか。被害者の苦しみ、怒り、悲しみ、喜びを後世に伝えていくことはできないものだろうか。
 従来は、歴史資料館の建設を思いたったことだろう。それは、莫大な資金と維持管理の労力を必要とし、見学する人も限られていた。現代は、さほどの資金を必要とせず、簡単に維持管理ができ、遠来の人が労せず訪問できるミュージアムを可能にした。それが、インターネット上につくるウェブ・ミュージアムである。
 遠く離れたところから瞬時にやってきて、土呂久鉱毒の歴史を総覧し、被害者のたどった道のりを追体験して、多くのことを学びとってほしい。そんな気持ちから「砒素のミュージアム 土呂久」の開設を思いたった。
 デザイナーの後藤修さん、黒葛原道さん、大学生の濱本志穂さんの協力なしに、このミュージアムを完成させることはできなかった。貴重な報道写真を提供してくださった宮崎日日新聞社にも心から感謝の気持ちを表したい。
 最後に、このウェブ・ミュージアムを訪ねた人たちが、ここを学び舎にして、それぞれに土呂久公害の教訓を持って帰られることを願ってやまない。

2011年11月13日  川原一之