Part3 人権回復の願い

残された患者の即決和解

 裁判に加わることを嫌い、行政や企業との円満な話し合いを求めて「土呂久鉱害補償自主交渉の会」を結成した患者がいた。最高裁和解が企業の責任に触れなかったため、自主交渉の会は、裁判の結果から次への手立てを得ることができなかった。
 焦燥を深めていた1991年9月、住友金属鉱山から会員の委任状を集めるように連絡がはいった。12月2日、宮崎簡裁で住友鉱と自主交渉の会の患者88人の間で即決和解が成立した。和解条項には、住友鉱に「鉱業法上の賠償責任はない」ことを確認し、同社が支払う1人80万円の「見舞金」は「公健法にいう損害の填補としてされるものではない」と明記してあった。最高裁和解とのちがいは、「鉱業法上の賠償責任なし」の文言をもりこんで、見舞金をいちじるしく低額にとどめたことだった。
 住友鉱は1992年2月3日、裁判の原告でも自主交渉の会員でもなかった認定患者18人のうち16人と同じ内容の即決和解を結んだ。この和解を拒否した佐藤慎市さんは、認定後に亡くなった母親に代わって、「三度の判決が指摘した住友の責任を否定するような和解はのめない」と、きっぱりと言い切った。
 慎市さんはいま、鉱毒事件の悲惨な歴史の語り部として、土呂久鉱山跡の見学にくる人たちの案内役をつとめている。

即決和解を拒否した佐藤慎市さん(西日本新聞)