Part3 人権回復の願い

刀折れ矢尽き旗をたたんだ

 原告たちは、土呂久山荘に集まって東京からの連絡を待った。1990年10月31日午前11時10分、NHK総合テレビに「宮崎県高千穂町土呂久鉱山の公害訴訟最高裁で和解成立」のテロップが流れた。「肩の荷が降りました」と、被害者の会3代目会長の佐藤トネさんがほほ笑んだ。
 新聞やテレビの取材陣約100人が土呂久山荘を取り囲んでいた。マイクに向かって、佐藤ミキさんが「今日はあらゆる人に感謝しております。やっと終わったちゅう気持ちですね、ほんとに」と話した。佐藤ハツネさんは「いちばん骨折った鶴江さんや秀男さん、仲治さんに数夫さん、そういう人たちとこの場でいっしょに過ごせたらねえち、話し合うたところです」と、死んでいった仲間に思いをはせた。
 土呂久で亜砒焼きが始まってから70年、斎藤先生が埋もれていた公害を掘り起こしてから19年、住友金属鉱山を相手に裁判を起こしてから15年の歳月がたっていた。長期化する時間の壁にやむなく屈し、命のあるうちの解決を求めて、生き残った高齢の患者たちはこの日、企業責任追及の旗をたたんだ。その顔には、刀折れ矢尽きるまで奮戦した充実が感じられた。

和解成立直後のインタビュー(右)とホッとして雑談する原告 (宮崎日日新聞社提供)