Part3 人権回復の願い

最高裁で和解成立

 二陣判決から3週間後、弁護団は最高裁におもむいて職権による和解を要請し、5月にその旨の上申書を提出した。それを受けた最高裁は、原告・被告それぞれ3人の弁護士を呼んで、調査官が双方と別々に会いながら、一陣と二陣の一括解決をめざす和解の折衝を進めた。
 最高裁が和解案を提示し、それを受けた弁護団が延岡市の旅館で原告・支援者と合同会議を開いたのは1990年10月10日のことだった。弁護士は「不満は残るだろうが、ここで解決をはかるしかない」と説明し、原告がその内容を了解して、最高裁の和解案を受け入れる方針が決まった。
 10月31日、最高裁第3小法廷の和解室に原告側5人と被告側2人の弁護士が座り、受命裁判官が和解条項を読み上げ、双方が受諾する旨の返事をした。そのとき、土呂久訴訟の和解が成立した。内容は、「(住友金属鉱山が)鉱業権に基づく事業活動をしていない」ことを確認し、一陣と二陣原告がすでに受け取った仮執行金(総額4億6475万円)の名目を「見舞金」に改め、この見舞金は「公健法にいう損害の填補」ではないことを確認するというものだった。
 原告は、住友金属鉱山の責任追及を断念し、受けとる金額もそれまでの判決の認容額を下回った。しかし、公健法受給の道を確保したことで「命あるうちの救済」と「命あるかぎり救済」という願いを実現できた。

記者発表する土呂久弁護団 (宮崎日日新聞社提供)