Part3 人権回復の願い

苦渋の控訴審勝利判決

控訴審勝利判決 (宮崎日日新聞社提供)

 福岡高裁宮崎支部で1984年8月27日に第1回口頭弁論が開かれて、一陣控訴審の幕があいた。住友金属鉱山は争点のすべてを蒸し返して全面的に争った。
 最大のヤマ場となった医学論争で、被告は「砒素中毒学の国際的権威者」という触れ込みのアメリカ人医師を証人に立てた。1987年2月27日の法廷で、被告側弁護士は60ページを超える陳述書の記載を示し、証人が「イエス」と「ザッツ・ライト」を連発して、「砒素は限られた臓器にしか症状を引きおこさないし、症状が長期にわたり継続することはない」と述べた。原告側弁護団は、この証言を崩すために渡米調査団を派遣し、この証人がアメリカで企業擁護の医師として知られ、国際的な業績は何もないことを突きとめた。4月24日の反対尋問で、原告側弁護士はアメリカ人医師に真っ向から医学論争を挑み、証人の見解が公的には採用されていないことを明らかにした。
 控訴審の判決は1988年9月30日に言い渡された。判決は、砒素による長期的かつ継続的な地域汚染によって、住民の全身にさまざまな障害が起きていることを認め、稼行していない鉱業権者といえども損害賠償の義務を負うと述べ、一審で敗訴した原告の請求も認めた。ところが、公害健康被害補償法の適用を受けている原告13人の給付額を填補済みとみなし、補償額から差し引くと判断して、認容総額を一審判決(5億622万円)から大幅に減らして3億857万円とした。
 さらに判決は、一審の仮執行金を割り込んだ13人の患者に対し、控訴審判決より多く受け取っている金額(総額1億2000万円)を被告に返還せよ、と命じた。重苦しい空気につつまれる原告をよそに、敗訴した被告は10月3日最高裁に上告した。