Part3 人権回復の願い

二陣原告が提訴

 東京行動の目的のひとつは、被害者の会が住友金属鉱山と補償協定を結び、その内容を原告以外の患者にも適用させることだった。それが実現できなかったことで、残されている患者も裁判を起こして補償を獲得する道を歩むことになった。裁判を希望した15人の患者と4遺族が1984年10月30日、宮崎地裁延岡支部に訴状を提出した。
 請求金額を一陣訴訟よりひきあげて死者6000万円、生存者4000万円とし、知事あっせんを受けた患者はその受領額を差し引いて、最後に1割の弁護士費用を加えたので、総額8億2630万円の訴訟になった。
 二陣原告には、土呂久に住んだことのない元労働者、炭鉱で働いてじん肺にかかった患者がふくまれ、一陣に比べると、時効や病像などの点で条件は厳しかった。新たに公害健康被害補償法による補償給付との併給をどう整理するかという難しい問題も浮かび上がっていた。

二陣原告提訴 (宮崎日日新聞社提供)