Part3 人権回復の願い

私たちの骨を拾ってください

 土呂久の被害者は、一審勝利判決翌日の1984年3月29日に上京し、考える会の準備した「住友交渉を成功させる土呂久東京行動総決起集会」に参加した。300人を超える参加者で熱気みなぎる会場に「住友金属鉱山が控訴した」という知らせが届いた。涙する患者もいた。佐藤トネさんが「私たちの闘いはこれからです。どうか東京の皆さま、私たちの骨を拾ってください」と挨拶して集会をしめくくった。
 住友金属鉱山本社ビル前に「土呂久テント村」がつくられ、怨念着と呼ばれる黒装束を着た被害者は、社長交渉と控訴取り下げを求める座り込みを開始した。座り込みは3月30日から4月19日まで21日間つづき、その間、考える会など東京の支援者が炊き出しをして支えた。毎朝「住鉱を攻めろ」というB5版のビラをつくって新橋駅前などで配った。
 社長との交渉は4月19日に実現した。被害者11人は本社会議室で、砒素中毒の苦しみ、肉親の最期について思いのたけを吐きだして「控訴を取り下げよ」と求めた。社長は「控訴取り下げの要望にはそいかねる。謝罪についてもできかねる」と用意していた文書を読み上げて席を立った。
 テントの片づけられた玄関前で、しめくくりの集会がおこなわれ、佐藤ハナエさんが「涙じゃ勝てんことがわかったってす。怒りでなければ」と話した。佐藤ハツネさんは「これで百年裁判になったわの」とつぶやいた。

勝利した患者は怨念着に身をつつんで東京・新橋の住友金属鉱山本社前に座り込んだ(右)。座り込み21日目に社長交渉が実現した(左)(宮崎日日新聞社提供)