Part3 人権回復の願い

松尾鉱山被害者が全面勝利

 宮崎県木城町の旧松尾鉱山は、土呂久と同じように亜砒酸を製造していた鉱山である。1953年、土呂久鉱山職員が亜砒焼き再開に反対する住民を説得するために、松尾鉱山見学に連れていったこともあった。その松尾鉱山で砒素中毒が発生していたことが明るみにでたのは、土呂久鉱毒事件が発掘されて2カ月半後の1972年1月29日のことだった。行政は、松尾の患者は労働者に限られているとして、土呂久を「公害」に認めたのに対し、松尾を「労災」事件として扱った。
 松尾の患者は1972年3月3日「旧松尾鉱山被害者の会」を結成した。支援者の組織が「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」と名乗ったように、土呂久と松尾の被害者は兄弟のように助けあいながら人権回復の闘いを進めた。土呂久訴訟が1975年12月に始まると、翌年8月21日に松尾の患者5人と1遺族は日本鉱業に損害賠償を求め、土呂久と同じ宮崎地裁延岡支部に裁判を起こした。判決がでたのは1983年3月23日、原告の主張を全面的に採用し、被害者が劣悪・危険な労働環境のもとで砒素によって全身の障害を受けたことを認め、会社に不法行為責任によって与えた損害(3080万円~880万円)を補償するように命じた。
 患者と支援者は2日後、東京の日本鉱業本社ビルに押しかけ、11日間の座り込みを経て、社長の謝罪と補償協定書をかちとった。この成果は土呂久の被害者をおおいに勇気づけた。

松尾勝利判決に涙ぐむ原告