Part3 人権回復の願い

岡山大学医学部の自主検診

 名古屋大学の大橋邦和医師の働きかけで、岡山大学医学部衛生学教室が1974年10月、土呂久公民館で104人の住民と元労働者を対象に自主検診を実施した。翌75年2月2日、その報告会が公民館でおこなわれ、調査団の太田武夫医師は次のように述べた。
 「健康被害は皮膚や神経にとどまらず、呼吸器、消化器など内臓諸器官に及んでおり、原因物質は砒素単独ではなく他の重金属や硫黄酸化物との複合汚染だと考えられる。行政がつくった皮膚中心の認定基準には根拠がなく、しかも病名を慢性砒素中毒症として原因を砒素に限っているのはおかしい」
 「鉱毒被害は全身におよんでいる」という被害者の訴えを、初めて医学的に証明する内容だった。認定されていない患者はおおいに勇気づけられ、岡山大学の医師の診断書を添えて宮崎県知事に認定を申請した。一方、再補償を願うあっせん受諾患者とあっせんを拒否した患者は、この検診結果と日弁連調査報告をもとに、住友金属鉱山を被告にすえて裁判で損害賠償を求める道へ踏みだす。認定要件を狭くして、患者を切り捨てる行政との闘いの幕開けとなった。

岡山大学医学部による自主健診