Part3 人権回復の願い

日弁連の報告会

 1973年の夏、横浜の加藤満生弁護士は5期先輩の矢島惣平弁護士から「宮崎の山奥に、力になってくれる医者も弁護士もおらず窮地に立たされている公害被害者がいる」という話を聞かされた。2人は12月に宮崎県を訪れて、土呂久と松尾の鉱毒の惨状と被害者が置かれている現状を見聞した。そのころ2人は、日本弁護士団体連合会公害対策委員会の委員をしていた。同委員会は1974年度の活動の柱として休廃止鉱山鉱害問題に取り組むことを決め、宮崎県の土呂久と松尾、島根県の笹ケ谷、石川県の尾小屋の4か所で調査をおこなった。
 同委員会は1975年3月1日「休廃止鉱山鉱害の現状と問題点ー土呂久鉱毒被害の実態をめぐってー」というシンポジウムを大分市で開いた。壇上にたった東京の池田純一弁護士は「土呂久鉱山の最後の鉱業権者だった住友金属鉱山は、過去の健康被害に対する金銭賠償はもちろん、現存する鉱害防止、疾病に対する治療体制の完備、被害者の生活保障を含めた恒久対策を実施する責任がある」と述べた。
 会場に、前年2月に結成された「土呂久鉱山公害被害者の会」のメンバーが出席していた。このとき初めて、明確に最終鉱業権者の住友鉱に法的な責任があることを教えられた。

大分市で開かれた日弁連報告会