Part3 人権回復の願い

板ばさみのあっせん

 佐藤アヤさんは子どものころから呼吸器、心臓、消化器、運動障害などで苦しんできた。1973年2月に診察した名古屋大学の大橋邦和医師は、亜砒酸が原因となって全身の障害が起こったと説明した。
 宮崎県は1976年3月、第五次認定患者を発表した。その中にアヤさんの名前もあった。喜んでよいはずなのに、アヤさんは逆に苦境に立たされた。親類から「あっせんを受けて一時金をもらうように」と圧力がかかったからだ。親身になって世話してくれた守る会は低額のあっせんに反対している。板ばさみのアヤさんに、あっせん派の代表が「白紙で一任すると約束せよ」と即断を迫った。やむなく「みんなと一緒にしてください」と返答したアヤさんは、すぐに守る会の落合正会長に手紙を書いた。「余りにも急げきに返事をせまられて、先生に相談する時間のなかった事が死ぬ程つらい、本当に死ぬ程つらいのです」。こうして第五次知事あっせんが始まった。
 認定患者48人のうち37人が1人平均352万円のあっせんを受諾した。調印式の会場で、アヤさんは流れ落ちる涙をぬぐいつづけた。

  半世紀うらみはこもる補償金受けて哀しや命の代価

 あっせんを受けなかった患者は裁判で補償をかちとる道を選んだ。

あっせん会場で涙をぬぐう佐藤アヤさん