Part3 人権回復の願い

知事さんはおらぬか

 宮崎県は毎年、土呂久住民の健診をおこない、新たに見つかった砒素中毒患者を認定した。1974年2月に認定された13人のうち10人が被害者の会の会員だった。10人は9月に、守る会の落合会長を代理人にし、慰謝料一律1,600万円など3項目の要求をつけて、知事にあっせんを依頼した。これに対し、宮崎県の意向を受けた高千穂町は「白紙委任でなければあっせんはおこなわない」と伝え、患者から「3項目の要求を撤回し、代理人の委任状は破棄する」という書類を集めて回った。
 こうした前哨戦を経て、12月25日に13人の患者は宮崎市に向かった。会場にはいった佐藤仲治さんが「知事さんはおらぬか。私たちは約束通り宮崎市へ来た。知事は約束を破るのか」と口火を切って、第三次あっせん交渉が始まった。あっせん案に示された補償金は平均280万円と低額だった。「補償額を上積みせよ」と求める患者に対し、県と町が「あっせん後は医療費の国民健康保険の自己負担分を町が全額もつ」という条件をだしたことで、患者の足並みが乱れた。最後まで、低額あっせんを拒否する姿勢を貫いたのは、佐藤仲治さん、数夫さん、ミキさんの3人だった。
 ミキさんは「私たちがあっせんを受けたら守る会のつっかかり場がねえなる。親たちのやり残した仕事を守る会といっしょになって最後までやりとげたい」と語った。3人が補償をかちとるには裁判の道しかなかった。

上から、あっせんを拒否した佐藤数夫さん、ミキさん、仲治さん。一番下は、第3次あっせんの会場(宮崎日日新聞社提供)