Part3 人権回復の願い

失意のどん底から立ち上がる

 佐藤鶴江さんと鶴野秀男さんは失意のどん底から立ちあがり、1974年1月に山形県で開かれた日教組教育研究全国集会にでかけた。すさまじい鉱毒体験と無念の知事あっせんについて語る2人に、教師から「負けるな!」と声援が飛んだ。帰りに日本弁護士会に寄ったあと、横浜市で弁護士を前に話をした。秀男さんは決死の旅にでた胸のうちを披歴した。
 「昨年の9月に尿管を切除してから寒いと出血するもんで、止血剤の注射をし、薬を飲んで、全国の人に話を聞いてもらおうちゅう気持で、意を決して山形に行きました。列車の中で、岡山付近で、出血したとです。このまま行ったなら、山形で、死んで、帰ることになるんじゃないか……」
 こうした真剣な言葉が多くの人の胸をうち、孤立していた土呂久の被害者を支援する輪が全国にひろがっていく。
 知事あっせんに不満を残す患者と未認定の患者らが集まって、同年2月21日「土呂久鉱山公害被害者の会」を結成した。この会を支えるために3月2日、宮崎市で「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」が旗揚げした。被害者の人権回復をめざし、宮崎県の公害行政の誤りをただす闘いの幕開けである。守る会の落合正会長は「体制に弓を引くのだから、昔の百姓一揆に匹敵する」と、困難にのりだす覚悟を固めた。

守る会第3回総会(左)に出席した被害者の会のメンバー(上)