Part2 土呂久鉱毒史

人の健康被害は問題にされなかった

 戦前、和合会は亜砒焼きを認めるかわりに、鉱山から亜砒酸1箱製造するにつき12銭の「交付金」を受け取っていた。和合会は、これを「煙害被害金」として、会に3銭(25%)残し、あとの9銭(75%)を鉱山近くの7軒に分配した。農作物や家畜の被害に対する補償だった。
 鉱山操業当時の新聞記事は「土呂久地区に煙害」「椎茸が発芽しない」「柿の葉が落ちる」「牛が不妊に」と、農作物や果樹や家畜の被害をとりあげても、人の健康被害にふれることはなかった。
 村人は、亜砒焼き労働者や鉱山周辺農家の人たちが、皮膚や呼吸器や内臓の病で、苦しみながら死んでいくのを見ていたが、こうした健康被害は、農業被害のように償われるものだという認識はなかった。
 鉱山が去ったあと、自然はよみがえっても、侵された健康は戻ってこなかった。土呂久に残された病人は、歴史の闇に消されようとしていた。

鉱山は去った。 鉱毒に病む人びとは歴史の闇に消されようとした。