Part2 土呂久鉱毒史

地下資源開発が繁栄に寄与する

岩戸村長と中島鉱山の間で結ばれた「契約書」

 1954年5月15日、中島鉱山社長と和合会会長の間で亜砒酸炉建設に関する「覚書」が交わされた。岩戸村長が斡旋人として調印している。
 両者は「農林事業の振興と地下資源の開発が岩戸村並に土呂久部落の繁栄に寄与すること大なる点に鑑み相携へてこの目的達成に協力することを確約する」として、鉱山が亜砒酸製造を開始した年から3年間、毎年10万円を和合会に支払うことが約束されている。
 同時に、岩戸村長と中島鉱山社長の間で亜砒酸炉建設に関する「契約書」が交わされた。斡旋人は西臼杵支庁長である。
 両者は「地下資源の開発が岩戸村の繁栄に貢献をなすものであることを痛感し(略)この目的の為に協力することを確約する」として、鉱山が亜砒酸炉の試験的操業を始めるにあたり、「鉱滓の処置については厳重に対策を講じ」ること、「被害補償準備金として毎月3万円」を積み立てること、「鉱害状況判定のために椎茸及豆類の植栽をおこなう」こと、「調査の結果被害を認めた場合は誠意を以て対策を協議する」こと、岩戸村から要求のあった時は鉱山が「直に操業を中止し被害に対し充分な補償を行ふ」ことなどが明記してあった。
 契約書の内容は、戦前の甚大な被害を繰り返さないように、鉱山会社に厳しく公害防止対策を求める内容だといえた。問題は、鉱山がこの内容を履行したかどうかである。