Part2 土呂久鉱毒史

役場で亜砒を焼いてください

 「男たちにまかせちゃおれん」。和合会が亜砒焼き再開を認めたと知って、土呂久の婦人会が立ちあがった。1954年3月、出勤前の岩戸村長宅に押しかけて「新しい窯をつくる計画をやめさせてください」と頼んだ。「男が決めたことに女が反対しても通らん」と、村長はつっぱねた。交渉の場は役場の村長室に移った。戦前の被害にこりている婦人たちは、心をひとつにして訴えた。
 「害がないというのなら、役場の庭に窯を築いて焼いてください。私たちがここまで鉱石を運びます」
 村長は、女性たちの切実な声に耳を貸さず、首を横に振った。
 「鉱山のおかげで村に鉱産税がはいりよるとじゃから」
 「土呂久の農家がつぶれてもええと言うってすか」
 「犠牲もやむをえん」
 村長の言葉に落胆し、婦人たちは泣きながら山道を帰った。大正時代、甲斐元村長は県庁に出かけ口論してまで斃牛の死因の解明を求めた。この村長にそんな気概のかけらもなかった。

公害と闘いつづけた土呂久の女衆(おなごし)