Part2 土呂久鉱毒史

一寸待った!新型焙焼炉

 1953年7月12日の日向日日新聞に「一寸待った!土呂久鉱山新焙焼炉」の記事が載った。以下に、記事の一部を抜粋する。
 「会社側では3月末土呂久、立宿部落代表に松尾鉱山を見学させ、同鉱山より42%も有毒ガスは少く百メートル以外は無害であることを力説、またばい焼による利益は年間約6百万円でうち半分は同部落出身の従業員の給与となって村に吸収され、被害があれば中止し補償も認めるなどを知らせた。また同鉱山労組も会社側に同調、5月末各戸に“お願い状”を送り、また組合員による戸別訪問説得運動を行っている。
 一方同部落には60年前から親ぼく組織“和合会”があり、村議会以上の実権をもち、同問題に関して村当局は一切を“和合会”にまかせ、村議会も態度保留している。部落民のうち絶対反対が24名、中立の29名も“和合会”に同調、賛成7名という状態で現在部落民説得の見通しは暗い」

日向日日新聞記事(1953年7月12日)