Part2 土呂久鉱毒史

太平洋戦争期に休山

 岩戸鉱山の親会社、中島飛行機(株)を創設したのは中島知久平である。海軍横須賀工廠の飛行機工場長をつとめたあと、民間初の飛行機会社を設立し、戦闘機の製造を始めた。1930年に衆議院選挙に当選、「政友会の金袋」といわれ、鉄道大臣や大政翼賛会の総務を歴任した。新興中島財閥の鉱山部門は、弟の門吉にまかせた。
 1941年11月、東岸寺選鉱場で火災が起きた。一部が焼けただけなのに、復旧にとりかからず、土呂久鉱山をふくむすべての操業を中止した。村人がいぶかしく思っていると、翌月8日に海軍がハワイの真珠湾を奇襲し、陸軍がマレー半島に上陸して、日本軍は太平洋戦争に突入した。マレー半島は、錫の世界最大の産出地である。東南アジアを錫の供給地としたことで、日本国内で生産する必要がなくなったのだ。
 1944年に錫鉱山整備令が出され、土呂久鉱山の鉱業権は帝国鉱業開発に移った。戦争中、ダンビュライトの採鉱が細々とおこなわれた。水晶に似たこの鉱物は、潜水艦の潜望鏡に使われた。

東岸寺選鉱場