Part2 土呂久鉱毒史

モカさんの大石垣

変わり果てた「モカさんの大石垣」

 土呂久鉱山と隣接して「モカさんの大石垣」に支えられた田んぼがあった。藤寺非宝著「岩戸村田成開発史」は、男勝りのモカさんが石垣を築いて田を開いた苦労について、こう書いている。
 「彼女(佐藤モカ)は性質極めて勝気で所謂男勝りであった。幼児より最も好むものは、女に似合はしからざる石垣築きであった。頭をばいつも手拭で徳利包みにして、キリッといでたち、夜となく昼となくその近くの石原同然の原野を開墾した。大石を運搬することは専門の石工でも仲々六ケ敷いものであるが、モカ女の秘伝は青竹一つでよかった。大きな青竹に何百貫とも知れぬ大石を載せて日庸人夫にこれを曳かしめ、自分はそれを監督した。そして又、驚かされることは、どうにも始末のつかぬ大石をば女の身を以てこれを玄翁でもってたたき壊したものであった。先ず大石の下に穴を掘り、それに若竹等を沢山つめ込んで火を焚き、ウンと熱した時、上から玄翁を参らせた。所が石を熱しめることは寒中に限るので昼は薪を集め夜は徹夜しながら火を焚き、その暖かみでうたたねをしたといふ。大正元年十月十五日八十一歳の高齢を以て念仏もろとも大往生を遂げたが、モカ女の信仰とその大事業は今尚世人の耳に残って居ることで、実際に見なければ合点の行かぬ程の大石垣である」
 鉱山は、モカさんが開墾した田んぼを買収して、鉱毒をふくんだ鉱滓の捨て場に使った。実り豊かな稲穂を支えるはずの「モカさんの大石垣」が、今では荒れはてた土地を支える石垣になりはてた。