Part2 土呂久鉱毒史

伝統技法による大量生産

 亜砒酸の製造には、(1)硫砒鉄鉱を採掘した鉱山に亜砒焼き窯をつくって焼く、(2)選鉱する際に砒精鉱を選んで焙焼する、(3)砒素をふくむ銀、銅、鉛鉱等を精錬したときに煙道で副産物として採集する、という3つの方法があった。
 土呂久でおこなわれたのは(1)である。これは、露天方式、炭焼き方式、登り窯方式と発展した伝統的な製法だった。露天方式は、野原で薪を燃やして砕いた砒鉱を投げいれ、かぶせた濡れ蓆(むしろ)に付着した白い粉を採集する。炭焼き方式は、薪の上に砒鉱を置き、さらに蓆をかぶせ、その上に泥で窯を築いて、薪に火をつける。火が落ちて窯を掘り起こすと、蓆の裏に白い粉が厚く貼りついている。中国明代の技術書「天工開物」に紹介されているのは、この炭焼き方式である(下図)。それを改良した登り窯が、1920年に土呂久鉱山に築かれて、大量の亜砒酸を生産した。
 伝統技法は、近代の大量生産にはむいていない。土呂久ですさまじい被害が起きたのは、狭い谷間の集落の真ん中に、伝統的な登り窯を築いて、大量の猛毒物をつくったからである。

「天工開物」に紹介された亜砒焼き