Part2 土呂久鉱毒史

鉱毒で暮らしが一変した

 池田獣医は、その報告記の中で、亜砒焼きが始まる前の土呂久の暮らしを次のように書いている。
 「一年間の蜂蜜代でいりこ、かつお節、砂糖、油代は十分にあった」
 「椎茸の生産高で納税その他必要な経費を払った」
 「牛馬と農産品の売上金は貯えとなったらしい」
 豊かな自然に包まれた暮らし向きのよい集落だったことがわかる。
 狭い谷間のまん中で、大量の亜砒酸製造が始まり、土呂久の暮らしは一変した。大気、河川、土壌が汚染され、川魚、農作物、樹木、家畜、さらに村人の健康が重大な被害を受けた。村人は和合会に結束し、鉱山に抗議し、村役場、県庁、さらに内務省に陳情した。

鉱毒被害発生の仕組み