Part2 土呂久鉱毒史

和合会が喧嘩会になった

 「部落がまとまって仲よくやろうとちゅう目的で、明治23年に和合会がでけた。ところが煙害問題で部落が2派に割れちからは、和合会にいざこざが絶ゆることがねえ。被害を受けるばかりの地主は、鉱山を仇んごつ思うて亜砒焼き中止を主張する。これに対して鉱山の世話になっちょる労働者は『あんたらはわしらの生活を保障してくれるのか』と食っちかかる。地主と労働者の対立で、和合どころか喧嘩会の有様じゃったな」
(佐藤勝さんの話)

 「むらの者が、亜砒酸を製造するときに使う薪を鉱山に出すのをやめれば、亜砒焼きの煙は出らんごつなる。『鉱山に薪を売るのをやめよや』と言うと、『薪を出さな生活に困る』と反対が起こる。金とりになるものじゃから薪をかるうて売りに行った。重さをはかっていくらかの金をもろたが、多寡はしれたもんじゃった。和合会が亜砒焼きに反対すれば、鉱山に仕事に行く者が『それなら鉱山で稼いどる金を出してくれるのか』と反発する。和合会で『鉱山に行っちゃいかん』と決まっても、一日でも金がなきゃ渡世でけんから、どげ言われても仕方なく鉱山に行く者もおった」
(佐藤義雄さんの話)

土呂久の惣見地区で開かれていた花見

和合会の創設者・佐藤善縁さん