Part2 土呂久鉱毒史

亜砒焼き労働者(1)-2

 いよいよ百姓がやれる。やっと願いがかなえられた。そう思うたときな、政市さんの体は亜砒に喰われて、ボロボロになってしもとった。気管は毒の煙にやられて、横になると咳がでる。眠るときが大弱りでの。重ねた布団を前に置き、うつ伏せになって眠るったい。わたしが長なって寝るもんじゃき、「おまえどまいいな」ち羨ましがりよった。ちょいちょい喉から血を吐いた。赤黒い色でのうて、黄味がかった血の色じゃった。
 「ヤブ医者」ちゅうて、牛や馬の先生がおらしての。政市さんを診て「片肺は動きよらん。元気になっても、働ける体じゃねえ」ち言わした。可哀相(むぞぎ)ことよのー。政市さんは義理ある親のために、自分の体を売ってしまわしたったい。心臓が弱ってしもて、坂道はよう登らん。下の部落までくだったときは、あとがおおごと。曲がりくねったのぼり坂を、立ち憩い立ち憩い、どうにかこうにか戻ってきた。ヤブ医者先生は「政市さんの病気はわからん。生き返ったり死んだりする」ち匙投げた。よう見出さんとよ、原因を。
 骨と皮んじょうになった政市さんが、枯木の枯るるごつして死んだのは昭和23年2月27日の午前3時ごろ。医者の書いた診断書は、死因が慢性気管支炎。
(鶴野クミさんの話)

1924年の土呂久鉱山記念写真 後列いちばん右が鶴野政市さん 前から2列目赤ん坊を抱いているのが鶴野クミさん