Part2 土呂久鉱毒史

土呂久で異変が始まった

池田獣医が「牧童」の画号で残した墨絵

 岩戸村の「村政永久史料」には、斃牛解剖書とともにもうひとつの重要文書がとじてあった。池田牧然(本名・実)獣医による「岩戸村土呂久放牧場及土呂久亜砒酸鉱山ヲ見テ」(1925年4月12日)である。
 「山の北面に行くと、火事跡のような悲惨な感じがした。植林して20年から30年の杉が、萎縮して成長がとまり、あるいは枯れて赤くなっている。竹林はほとんど枯れ、雑木も立ち枯れて、いかにも寂寞な感じがする。荒れはてた耕地は、作物を育てることができないように見える。数年前まで富をほこった集落が、今は活気のない集落になってしまったようだ。山川の水は清く澄みわたっているが、川の中の石は赤く汚れて、3年前までいた魚類が今は一尾も見えない。(略)社宅を訪ねると、若い女性の声はしわがれ声で、顔は血の気がなくてあおざめている。鉱山で働く人は、顔がただれてはれあがり、目もひどく充血している。(略)付近の牛が病気だというので、診断してみると、栄養不良、元気なく、足もとがよろめき、毛や皮は光沢をなくし、食欲もなく、体温は平熱で、脈拍は弱く、呼吸器に異常はなく、胃腸はかすかに動いている。ときどき、よだれを垂らし、泡をふいて、全身にふるえがくることがある。診断したのは2頭で、同じ症状をしているが、初めてみる病気なので、病名をつけることができない。昨年の秋、村長に頼まれて病気の牛馬を診断した高千穂警察署の技術者、郡畜産組合の技術員の話でも、病気にかかった牛馬10頭、その症状は同じで、全身が点々と脱毛していた。やはり、病名をつけることができなかったという」
 亜砒焼きが始まった土呂久で、椎茸、豆類、稲の不作、竹が枯れ、蜜蜂が姿を消し、川魚が死に、牛や馬が次々と病気で倒れた。その状況を詳細に書いた報告記も、半世紀近く、役場の隅で眠りつづけていたのだ。