Part2 土呂久鉱毒史

和合会議事録

 土呂久で1890年に「和合会」という名の金融互助組織がつくられた。やがて和合会は共同体を維持するための自治組織に発展する。議事録をひもとくと、和合会の総会で最初に煙害問題が話し合われたのは1923年5月25日のことだとわかる。土呂久鉱山で亜砒焼きが始まって3年後のことだ。その後、村人がいかに鉱毒被害に苦しめられたか、鉱山との交渉がいかに困難だったか、和合会議事録から読みとることができる。

大正12(1923)年5月25日
一.亜砒酸害毒予防法設備ニ関スル件
害毒予防法トシテハ完全ナル設備ヲナシ、事業ヲナサレン事、全員一同満場一致ニテ当事務主任者ヘ願フ事
大正12年(1923年)11月25日
一.亜砒酸煙害ニ関スル事項ノ件
一.交付金トシテ壱ヶ月五拾円ヲ事務所ヨリ支払ヲ受ク可キ事
一.契約年期限ハ満壱ヶ年毎ニ実行ノ事
一.材料ハ全部相当ノ価格ニテ要求ニ応ス可キ事
一.契約金ハ毎月拾五日ニ支払ヲ受ク可キ事
一.壱期タリトモ契約金ヲ怠タリタル場合ハ右契約ハ無効トナル可キ事合意ス

和合会議事録の表紙(右)と1923年5月総会の「亜砒酸害毒」に関する記載(左)