Part2 土呂久鉱毒史

農薬や毒ガスに利用

笹ケ谷鉱山産の亜砒酸

 亜砒酸はむかし「砒霜」と呼ばれた。砒素をふくむ鉱石を焼くと、煙が流れたあとに、霜のように白い粉が降りそそいでいるからである。江戸時代に、亜砒酸は「石見銀山ねずみ捕り」の商標で販売された。石見の国笹ケ谷鉱山でつくられたことから、この名がついた。しばしば人を殺す毒薬として用いられた。
 亜砒酸には、医薬品、防腐剤、防虫剤、顔料などの用途があった。20世紀にはいり、砒素を原料とする殺虫剤(砒酸鉛、砒酸石灰)が開発されて、大量生産が始まる。大量の虫を殺す毒物が、第1次世界大戦で大量殺人の武器に転用された。ドイツ軍が最初に、砒素を原料にした毒ガスを開発して実戦で使った。
 ドイツは当時、世界一の亜砒酸生産国だった。世界大戦で破れて化学工業が衰退すると、ドイツに代わって日本が、亜砒酸の輸出国にのしあがる。宮城正一が土呂久にやってきたのは、そうした時期である。 主な輸出先はアメリカ、南部の綿花畑で、ゾウ虫を駆除する農薬として使われた。1930年代、綿花畑で飛行機による砒酸石灰の空中散布が始まった。日本の亜砒酸生産は、アメリカの繊維業界の景気の影響を受けて増産と減産をくりかえした。