Part2 土呂久鉱毒史

九州の亜砒酸の元祖

 土呂久鉱山の鉱業権者竹内令さく(貝へんに乍)は1920年、採掘する鉱石の種類に従来の鉛、亜鉛に新たに「硫砒鉄鉱」を加えて届け出た。硫砒鉄鉱は硫黄と砒素と鉄を主成分とする鉱石である。この鉱石を焼いて亜砒酸を採集し、農薬などの原料として販売するのだ。
 亜砒酸の製造をもちかけたのは、大分県佐伯で「九州の亜砒酸の元祖」と呼ばれていた宮城正一である。佐伯市史には、宮城が1915年に亜砒酸工場の操業を始め、2年後に農作物被害の補償金100円を周辺農家に支払ったこと、1919年に煙毒問題が再燃し、住民が県知事に工場移転を求めて請願したことが記載されている。
 煙害をだして佐伯を追われた宮城は、土呂久に来て亜砒酸製造を開始した。「山奥ならば煙害をだしてもかまわない」という“辺境差別”の意識があったとしか思えない。

亜砒焼きの実験