Part2 土呂久鉱毒史

古文書にみる鉱山開発

 岩戸地区に残る古文書が、銀山として繁栄した時代のようすを伝えてくれる。
 土呂久鉱山が開山した時期については、1555(弘治元)年、1596~1614(慶長年間)、1616(元和元)年、1624~1643(寛永年間)、1655(明暦元)年、1688(元禄元)年など諸説がある。

  • 1690(元禄3)年、銀を製錬するときの煙害で漆の木に被害がでた。
  • 1804~1829(文化・文政年間)、延岡藩の許しをえて土持寛治らが銀や錫や鉛を採掘した。
  • 1845(弘化2)年、延岡藩直営の銀山としてにぎわった。
  • 1853(嘉永6)年、延岡藩主内藤政義が土呂久銀山を視察した。
  • 1856(安政3)年、延岡藩直営の時代が終わった。
  • 1868(明治元)年、延岡藩から肥後藩に所有権が移った。
  • 1879(明治12)年、鹿児島の長崎豊十郎、武一郎が熊本の橋本猪十郎から買い取り、銅や鉛の採掘を始めた。
  • 1894(明治27)年、竹内令さく(貝ヘンに乍)が採掘特許を得た。

 その後、1920年ごろ(大正中期)までほとんど休山した。

明和6(1769)年に描かれた岩戸村絵図。 本谷山の北麓に「土路久村」とある。