Part2 土呂久鉱毒史

かね吹き唄

かね吹き唄

古老は焼酎がはいると、土呂久に伝わる「かね吹き唄」をうたった。  ♫土呂久かな山誰が掘りそめた   府内山弥どんのヨー掘りそめた  ♫土呂久…

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伝承 夢買い山弥

伝承 夢買い山弥

 むかし、豊後の府内に山弥という商人がおった。ある日、山弥は日向へ行商にでかけた。峠で日向から来た男と出会い、世間話をしているうちにその男は…

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古文書にみる鉱山開発

古文書にみる鉱山開発

 岩戸地区に残る古文書が、銀山として繁栄した時代のようすを伝えてくれる。  土呂久鉱山が開山した時期については、1555(弘治元)年、159…

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九州の亜砒酸の元祖

九州の亜砒酸の元祖

 土呂久鉱山の鉱業権者竹内令さく(貝へんに乍)は1920年、採掘する鉱石の種類に従来の鉛、亜鉛に新たに「硫砒鉄鉱」を加えて届け出た。硫砒鉄鉱…

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農薬や毒ガスに利用

農薬や毒ガスに利用

 亜砒酸はむかし「砒霜」と呼ばれた。砒素をふくむ鉱石を焼くと、煙が流れたあとに、霜のように白い粉が降りそそいでいるからである。江戸時代に、亜…

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猛毒をつくった窯の仕組み

猛毒をつくった窯の仕組み

 1920年6月、土呂久川沿いの斜面に石を積んだだけの登り窯が築かれた。坑内から掘りだした硫砒鉄鉱をくだき、素手で握って団鉱にして焼いた。最…

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和合会議事録

和合会議事録

 土呂久で1890年に「和合会」という名の金融互助組織がつくられた。やがて和合会は共同体を維持するための自治組織に発展する。議事録をひもとく…

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死んだ牛を解剖した

死んだ牛を解剖した

 1925年4月6日、土呂久でメス牛が死んだ。村人は「原因究明のために死んだ牛を解剖してほしい」と岩戸村の甲斐徳次郎村長に依頼した。村長は翌…

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黙殺された解剖書

黙殺された解剖書

 甲斐村長は1925年4月9日、斃牛の臓物をつめた小瓶と解剖書を持って宮崎県警察部衛生課にでかけ、斃牛の死因を特定するための毒物鑑定を依頼し…

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土呂久で異変が始まった

土呂久で異変が始まった

 岩戸村の「村政永久史料」には、斃牛解剖書とともにもうひとつの重要文書がとじてあった。池田牧然(本名・実)獣医による「岩戸村土呂久放牧場及土…

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死につぶれた一家

死につぶれた一家

 亜砒焼き窯から100メートルのところに住んでいた佐藤喜衛門さん一家は、同じように目がただれ、声は枯れ、激しく咳き込み、血痰をはき、肝臓をは…

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亜砒焼き労働者(1)-1

亜砒焼き労働者(1)-1

 わたしの仕事は「団鉱(だんご)」づくり。鉱石を金槌で割って粉にして、素手で握って団鉱をつくる。それを窯の上で乾かしたあと、薪といっしょに窯…

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亜砒焼き労働者(1)-2

亜砒焼き労働者(1)-2

 いよいよ百姓がやれる。やっと願いがかなえられた。そう思うたときな、政市さんの体は亜砒に喰われて、ボロボロになってしもとった。気管は毒の煙に…

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亜砒焼き労働者(2)

亜砒焼き労働者(2)

 じいさんの徳蔵さんが死になさったのは、私が小学5年生のときやった。ばばさんのシカノさんは、終戦になった年じゃき、昭和20年の10月に死んだ…

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和合会が喧嘩会になった

和合会が喧嘩会になった

 「部落がまとまって仲よくやろうとちゅう目的で、明治23年に和合会がでけた。ところが煙害問題で部落が2派に割れちからは、和合会にいざこざが絶…

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鉱毒で暮らしが一変した

鉱毒で暮らしが一変した

 池田獣医は、その報告記の中で、亜砒焼きが始まる前の土呂久の暮らしを次のように書いている。  「一年間の蜂蜜代でいりこ、かつお節、砂糖、油代…

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「農」の立場と「鉱」の立場

「農」の立場と「鉱」の立場

 1934年7月13日の延岡新聞に「直接内務省に 亜砒酸精製 絶対反対陳情の岩戸村民」という記事が載った。  「鉱毒反対時代・・・・宮崎県西…

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伝統技法による大量生産

伝統技法による大量生産

 亜砒酸の製造には、(1)硫砒鉄鉱を採掘した鉱山に亜砒焼き窯をつくって焼く、(2)選鉱する際に砒精鉱を選んで焙焼する、(3)砒素をふくむ銀、…

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亜砒酸生産の二重構造

亜砒酸生産の二重構造

 戦前の日本で、亜砒酸生産量のもっとも多かったのは、栃木県の足尾銅山だった。足尾鉱毒事件は、有毒な廃石や鉱滓が渡良瀬川に流れ込み、下流の農地…

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中島飛行機の系列に

中島飛行機の系列に

 戦前の土呂久鉱山の経営は、第1期「鉱山師(やまし)の時代」(1920年~1933年)と第2期「岩戸鉱山の時代」(1933年から1945年)…

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反射炉による煙害

反射炉による煙害

 1935年9月、土呂久の南4キロの東岸寺に選鉱場が建設された。土呂久と中野内で採掘した鉱石を索道で運び、砕いたあと、揺動テーブルを流しなが…

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農地を守った百姓魂

農地を守った百姓魂

 佐藤仲治さんは1910年に土呂久で生まれた。小学4年生のとき、家の斜め下の鉱山で亜砒焼きが始まった。蜜蜂が姿を消し、椎茸が芽をださず、畑の…

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土呂久をつぶさせちゃならん

土呂久をつぶさせちゃならん

 和合会は1941(昭和16)年2月19日の総会でこう決定をした。  一.和合会鉱山契約満了ノ件  鉱山関係ノ契約ハ全員ノ一致ニ拠リ中止ノ事…

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モカさんの大石垣

モカさんの大石垣

 土呂久鉱山と隣接して「モカさんの大石垣」に支えられた田んぼがあった。藤寺非宝著「岩戸村田成開発史」は、男勝りのモカさんが石垣を築いて田を開…

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毒ガスの原料

毒ガスの原料

「亜砒酸は、軍の命令で、毒ガスの原料として大阪の道修町にある薬品工場に回していた」。そんな話が土呂久に残っている。 日本陸軍は、中国との戦争…

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太平洋戦争期に休山

太平洋戦争期に休山

 岩戸鉱山の親会社、中島飛行機(株)を創設したのは中島知久平である。海軍横須賀工廠の飛行機工場長をつとめたあと、民間初の飛行機会社を設立し、…

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戦前の土呂久鉱山産出量

戦前の土呂久鉱山産出量

 宮崎県統計書、日本鉱業名鑑、福岡鉱山監督署管内鉱区一覧、本邦鉱業ノ趨勢をもとに作成した。 <注> 記載がないのは、亜砒酸を製造した者が鉱業…

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敗戦後の土呂久鉱山

敗戦後の土呂久鉱山

 敗戦の年1945年12月、GHQは中島知久平に戦争をおし進めた容疑でA級戦犯の逮捕状をだし、翌年、中島財閥に解体命令を発した。中島門吉らに…

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松尾鉱山見学

松尾鉱山見学

 鉱山は1953年3月、反対住民を説得するために宮崎県木城町の松尾鉱山見学を企画した。松尾鉱山では、1918年から亜砒酸を製造していた。  …

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一寸待った!新型焙焼炉

一寸待った!新型焙焼炉

 1953年7月12日の日向日日新聞に「一寸待った!土呂久鉱山新焙焼炉」の記事が載った。以下に、記事の一部を抜粋する。  「会社側では3月末…

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絶対反対から条件付き賛成へ

絶対反対から条件付き賛成へ

 「過去の悲惨なるアヒサン煙害による実情に鑑み、土呂久鉱山中島鉱業所のアヒサン焼築炉計画には、地元民として絶対反対の意を表明し、ここに連名に…

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役場で亜砒を焼いてください

役場で亜砒を焼いてください

 「男たちにまかせちゃおれん」。和合会が亜砒焼き再開を認めたと知って、土呂久の婦人会が立ちあがった。1954年3月、出勤前の岩戸村長宅に押し…

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地下資源開発が繁栄に寄与する

地下資源開発が繁栄に寄与する

 1954年5月15日、中島鉱山社長と和合会会長の間で亜砒酸炉建設に関する「覚書」が交わされた。岩戸村長が斡旋人として調印している。  両者…

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再び煙害が始まった

再び煙害が始まった

 戦前の窯より100メートル高い場所に新型焙焼炉がつくられた。1955年3月、鉱山は14年ぶりに亜砒焼きを再開し、平和だった土呂久の谷に再び…

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木や草が枯れ、牛は不妊に

木や草が枯れ、牛は不妊に

 1960年8月17日の日向日日新聞は「土呂久地区に煙害? 木や草が枯れる ほとんどの牛が不妊に “精錬所の煙が原因”地元、調査を要望」とい…

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出水事故から閉山へ

出水事故から閉山へ

 煙害で困っていたある農民は、中島鉱山の社長にあてて匿名の手紙を投函した。  「亜砒焼キヲヤメヨ。ヤメヌナラ、ウチニアル府内山弥ノ位牌ヲ川ノ…

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人の健康被害は問題にされなかった

人の健康被害は問題にされなかった

 戦前、和合会は亜砒焼きを認めるかわりに、鉱山から亜砒酸1箱製造するにつき12銭の「交付金」を受け取っていた。和合会は、これを「煙害被害金」…

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戦後の土呂久鉱山産出量

戦後の土呂久鉱山産出量

 宮崎県統計書、本邦鉱業ノ趨勢、九州の金属鉱業、出鉱実績表(土呂久鉱山)をもとに作成した。  出水事故で休山した1958年から閉山した196…

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