Part1 発掘された公害病

発見者はなぜ医者ではなかったのか?

教師が作成した土呂久公害地図

 斎藤正健教諭は、1枚の地図に道路、川、用水、鉱山跡、土呂久の家々の死亡者の死因、現病者の病名を書き込んだ。
 1971年11月13日、宮崎市で開かれた日本教職員組合宮崎県教育研究集会の会場に、畳1枚より広い大地図がはりだされ、その前で斎藤教諭は調査の結果を発表した。半世紀も谷間のむらに埋もれていた土呂久公害が、そのとき歴史の表層に浮かびあがった。
 ふつう、公害病の発生に気づくのは医者である。富山県のイタイイタイ病は開業医の萩野昇医師によって公表された。水俣病の発生に最初に気付いたのはチッソ水俣工場の細川一医師だった。
 ところが、土呂久公害を掘り起こしたのは、地元の岩戸小学校の教師だった。なぜ、医者は気づかなかったのか?
 その疑問を問うていくと、砒素中毒の病気の特徴にたどりつく。