Part1 発掘された公害病

封印されてきた歴史


 土呂久の父母は、岩戸小学校の教師が配ったアンケート用紙に、忘れることのできない鉱毒被害の体験を記した。
「人間尊重の今日の時代からみると、思い出すのもゾーッとするようなことです。何も知らない村人達には害がないからといって、あの猛毒の亜砒酸を焼き出し、害のある時には、それ相当な設備をするように言っていながら、なんの設備もなく煙は出し放し、焼きがらは川の中にそのままほうりだすしまつでした」
「煙害の為、牛馬は各家庭で何頭も死ぬありさまで、豆類等植付けてもしだいに葉が厚く縮みあがり、青死にするしまつで、椎茸にしても煙害がしみ込み全くできなかった。用水はいつも底が見えないほど、どろどろの青白い水が流れ、それを飲料水に使っていた。また、水稲にしてもその水の害で全くできなかった」
 教師は、数十通の回答を読みながら、はげしい衝撃を受けた。初めて知らされる事実ばかりだった。谷間のむらに封印されてきた歴史が、初めて解かれたのである。

ズリ(廃石)山と隣り合わせの暮らし