Part1 発掘された公害病

集落の真ん中で猛毒を製造

 土呂久川から100メートルのぼったところに焙焼炉が放置されていた。中にはいると、壁や床に白い物質がこびりついていた。村人は、昭和30年代に製造された「亜砒酸」という猛毒だと言った。
 川べりには壊れた窯の跡があった。戦前、同じような窯が7つも8つも築かれて、大量の亜砒酸を生産した。鉱山は、土呂久の集落の真ん中にあり、はきだす煙のせいで、周辺の山は裸になり、家畜や蜜蜂や果樹や作物に影響がでた。健康をおかされた人びともいた、という。
 「私たちは生き残りです」と名乗り出た患者の皮膚に、被害の歴史が刻まれていた。

戦前の亜砒焼き窯の跡