Part1 発掘された公害病

鉱山跡地で遊ぶ児童たち

1970年ごろの大切坑

 1966年に宮崎大学教育学部を卒業し、岩戸小学校に赴任した教師がいた。家庭訪問で訪れた土呂久で、草木のはえない黄土色の山で遊ぶ児童たちを見た。その山は、鉱山が捨てたズリ(廃石)の山だった。板でふさがれた穴から、大量の水が土呂久川に流れ出していた。その穴は、鉱石を掘り出した坑口の跡だった。土呂久川の下流は、岩戸小学校の児童の水泳場になっていた。

 教師の名前は斎藤正健。妻の実家は、旧土呂久鉱山と隣接して建っていた。義母から「鉱山操業中は煙害がひどかったので、娘たちを遠くの親戚の家に疎開させた」と聞いた。

 1970年10月、土呂久鉱山跡の坑内水から基準を超えた砒素が見つかった、という新聞記事を目にした。児童が泳いでいる川に、上流の鉱山跡から砒素が流れこんでいる! 児童の健康は大丈夫なのか?

 仲間の教師に呼びかけて調査を開始した。