Part1 発掘された公害病

土呂久(とろく)

土呂久(とろく)

 土呂久は、古祖母山(1633m)の中腹に位置する谷間の集落である。林道から見おろす土呂久は庭園のように美しい。東西からせまる山々は、深い緑…

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古文書に表記された「猪鹿」「土路久」

古文書に表記された「猪鹿」「土路久」

 土呂久について記載されたもっとも古い文書は、慶長14(1609)年におこなわれた検地の台帳「岩戸村竿帳」である。そこには「猪鹿門」の文字が…

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鉱山跡地で遊ぶ児童たち

鉱山跡地で遊ぶ児童たち

 1966年に宮崎大学教育学部を卒業し、岩戸小学校に赴任した教師がいた。家庭訪問で訪れた土呂久で、草木のはえない黄土色の山で遊ぶ児童たちを見…

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教師の公害調査

教師の公害調査

 岩戸小学校の教師たちは1971年、土呂久に関する次のような調査をおこなった。 鉱滓(こうさい)・ズリに対する児童の意識調査 土呂久児童の父…

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封印されてきた歴史


封印されてきた歴史


 土呂久の父母は、岩戸小学校の教師が配ったアンケート用紙に、忘れることのできない鉱毒被害の体験を記した。 「人間尊重の今日の時代からみると、…

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集落の真ん中で猛毒を製造

集落の真ん中で猛毒を製造

 土呂久川から100メートルのぼったところに焙焼炉が放置されていた。中にはいると、壁や床に白い物質がこびりついていた。村人は、昭和30年代に…

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やわ肌に煙を吸うたのが悪かった

やわ肌に煙を吸うたのが悪かった

 子どものころ鉱山の長屋に住んどりました。煙のたつ日は、お父さんやお母さんが「今日は外に出るな。喉に悪い、目に悪い」ち言いよりました。鉱山の…

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発見者はなぜ医者ではなかったのか?

発見者はなぜ医者ではなかったのか?

 斎藤正健教諭は、1枚の地図に道路、川、用水、鉱山跡、土呂久の家々の死亡者の死因、現病者の病名を書き込んだ。  1971年11月13日、宮崎…

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教師の発表と地元医師の反応

教師の発表と地元医師の反応

 斎藤教諭は教育研究集会で次のように発表した。 「農薬や毒ガスの原料になった亜砒酸という猛毒をつくった鉱山の周辺で、100人近い住民が平均3…

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宮崎県が公害を否定

宮崎県が公害を否定

 宮崎県はただちに土呂久地区の疫学調査、健康調査、環境分析調査にとりかかった。健康調査を依頼されたのは宮崎県医師会だった。1971年11月2…

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専門家による証明(1)

専門家による証明(1)

 閉山して10年、土呂久鉱山操業当時の煙害はどうやって証明できるのか。九州大学医学部の倉恒匡徳教授は、民家の梁の上のほこり(ハウスダスト)に…

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専門家による証明(2)

専門家による証明(2)

 宮崎県立延岡病院皮膚科の桑原司医師は、土呂久の住民にボーエン病(表皮内がん)患者が何人もいることに気付いた。ボーエン病は、顕微鏡でみると特…

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専門家による証明(3)

専門家による証明(3)

 九州大学の倉恒教授は、高千穂保健所管内で昭和34年~44年の間に肺がんで死んだ27人に着目した。調査不能の2人を除く25人の中に、岩戸地区…

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砒素による健康被害を認める

砒素による健康被害を認める

 宮崎県は1972年7月31日「土呂久地区の鉱害にかかわる社会医学的調査」の最終報告書と専門委員会報告書(倉恒報告)を発表した。専門医報告は…

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第4の公害病

第4の公害病

 公害健康被害補償法は、公害病を一種地域(複数の企業活動が原因となった疾病)と二種地域(特定の原因物質による疾病)に分けている。一種地域は慢…

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